般若心経と写経

般若心経の意味

般若心経と写経

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界 無無明亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切 顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 故知 般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経

仏教の世界には沢山の経典とよばれる色んな教えを説いた書物があり、般若系経典と呼ばれるものだけでも六百巻ほどもあるそうです。般若心経はそれら全てが詰まっており、正しくは般若波羅蜜多心経といいます。

般若心経は「空」の思想を説いた経典、わずか262文字。262文字の中に、沢山の教えが詰まっているのです。

私はちょっとした縁で写経をするようになりましたが、きっかけとなった本には以下のような言葉が書かれていました。

「お経は見るだけでもよい。
声をだして読むと、なおよい。
書き写せば、さらによい。」

写経という行為を的確に表した言葉では無いかと思います。

昔から写経には功徳があり、ご利益があると言われてきた訳ですが、何かを期待してするものではありません。一心に文字を書き写すことで心が静かに落ち着き、その結果、自分の心によいことが生じるのです。

写経は何時、何処で書いてもよいです。鉛筆でもボールペンでも筆でも構わないです。一文字でも写経。気軽に始めることをおすすめします。

さらにいうと、写経は般若心経でなければいけないのか?というとそうではありません。日本ではもっとも沢山の宗派の方が唱えるお経が般若心経で、シンプルで取り組みやすいということを後に教えられました。

後で知ったことですが、父方の菩提寺では般若心経を唱えない宗派でした。その宗派に付いては次項にて書かせていただきます。

 

般若心経と宗派

般若心経と写経

般若心経は、真言宗、天台宗、禅宗など多くの宗派で唱えられており、仏教以外でもよまれることもあるのです。

同じ仏教でも、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗といった宗派では、般若心経は唱えません。

どちらがどうだとかいう話ではなく、その時々の時代背景によるものなのだと、書物を読んでいると感じます。

私自身、日常会話の中で般若心経の話しに及んだ際に、邪教だの災いを呼び寄せるだのと言われたことがあり、批判の対象となることも多い経典でもある様です。

 

般若心経の覚え方

般若心経と写経

覚え方に付いては色々といわれます。

 

・とにかく、声に出して読んで覚える
・写経を通して覚える
・意味を理解して読んで覚える
・音声に合わせて一緒に読む

 

こんな感じでしょうか。

私が般若心経を覚えた方法は、書店にて購入した「えんぴつで書く 般若心経 練習帳」という本でした。寄る年波には勝てず、年々記憶力が怪しくなっていることを自覚していますが、繰り返し書き写すことで、自然と読める様にもなりました。

自分自身が気持ちよく集中して般若心経と関わることで、必ず覚える事が出来るのは間違いないと思います。

私の義母は、義父を亡くした際に、毎朝、仏壇の前で般若心経をあげることが日課となっていましたが、49日を迎える頃には、しっかりと暗記していた姿に驚いたものです。

とは言え、般若心経も、覚えるにこしたことはないと思いますが、それが目的になるのは違うと思います。

唱える際には、教本を持ってお勤めすることも許されている訳ですから。

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