沖縄の食器 壺屋焼きと琉球ガラス

沖縄の食器 壺屋焼きと琉球ガラス

沖縄の食器

沖縄の食器、沖縄焼きとでもすると判りやすいかな、と思うのですが、さておき、沖縄では焼き物のことを「やちむん」と呼びます。

沖縄へ行けば、今はお土産屋で大抵入手出来る沖縄のやちむんですが、出来れば、国際通りから平和通りを抜けた所にある、壺屋やちむん通りや読谷のやちむんの里などへ足を運べば、それはそれは素晴らしいやちむんに出会える事でしょう。

魚や植物をモチーフに、独特の色合いで彩られたやちむんに魅入られて、沖縄の地へ出かけた際にはもちろん、現代人の特権ですね、今ではネットでも気に入った物があれば購入するまでにもなりました。

沖縄の食器 壺屋焼きと琉球ガラス

そして、琉球ガラス。

戦後間もない、物資が無かった時代に、アメリカの軍が捨てたコーラやビールの空き瓶を溶かして再利用したものが始まりだそう。

ガラスを再利用する際に混入する気泡などが、独特のこの雰囲気を作り、今では南の島のお酒、泡盛などを飲むにはこれで無くてはダメだ、ぐらいのグラスになってしまいました。

沖縄の食器 壺屋焼き カラカラ

元をただせば、こういったカラカラと呼ばれる酒器で泡盛は飲まれていたといいますが、冷蔵庫の発達によって、ロックや水割りという飲み方がされるようになり、琉球ガラスのグラスが使われる様になったと聞きました。

沖縄かぶれと友人達は笑いますが、食いしん坊は、料理によって食器を使い分けるほど楽しいことは無いと心底おもっているのでした。

読谷 やちむんの里

沖縄の食器 壺屋焼きと琉球ガラス

写真は読谷のやちむんの里へ出かけた際の登り窯の写真です。

良いお天気に恵まれ、存分にやちむんを楽しみました。

やちむんの里へは、那覇から車で小一時間、レンタカーを借りて寄り道しながら一日かけてたっぷりと楽しむのが良いです。

やちむんの里は1970年代に出来たそうです。当時、那覇の壺屋通りでは、登り窯による煙害が問題になっており、陶芸家達が見つけたのが読谷村だったそうです。

ガラス工房一軒を含む16の工房が点在し私の様な好きな者には堪らない聖地なのです。

壺屋やちむん通り

沖縄の食器 壺屋焼きと琉球ガラス

沖縄随一の観光地である国際通りから歩いて10分ほど、赤瓦の屋根や石垣の沖縄らしい風景の中、約50もの窯元やショップにカフェがある地域が壺屋やちむんの里です。

上記写真は界隈にある見晴らしの良い高台にあるお気に入りのカフェ。器はもちろん壺屋焼ですね。

壺屋やちむん通りの歴史は古くて、1682年、琉球王府が各地に散らばっていた窯場をこの地に集めたのが始まりで、通りには壺屋焼物博物館などもあります。

沖縄の食器 壺屋焼きと琉球ガラス

各お店によって、個性的な焼き物が揃っているので、お気に入りの店に巡り合うまでは目移りしてしょうがないと思います。

琉球ガラス

沖縄の食器 壺屋焼きと琉球ガラス

もともとは廃棄ガラスを溶かして作ったのが琉球ガラスの始まりだという事ですが、今はそんな事は無いらしくて、様々な琉球ガラスがあります。

廃瓶じゃなくて新しい材料を使った創作のガラスなども多くて、コップだけじゃなく、お皿から花瓶に小物、あらゆる物があります。

昨今の沖縄ブームで、これらの需要が一気に高まって、東南アジアで作らせたものまで琉球ガラスを名乗って登場しており、国際通りで購入したロックグラスを指さして、それは琉球ガラスじゃ無いからと言われた事がありました。

琉球ガラスのカップを作る体験が出来る施設や見学が出来る施設などがあちこちにあり、そこでは、美しい琉球ガラスの製品を購入出来るので、是非、一度足を補込んで見ることをオススメします。

琉球ガラスと赤瓦コースター

こちらの写真は琉球ガラス村で購入したグラスと赤瓦コースターのセット。

赤瓦コースターがもの凄く秀逸で、グラスから落ちる雫などは全部吸い取ってくれるのです。雫がくっついてコースターが持ち上がる、なんて事は皆無、オススメです。

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